将来、どのような社会になっているかは分かりません。僧侶としての生活は生き方であると考えるなら、収入を得るための食い扶持を他の仕事から賄うようになるかもしれません。子どもたちが他の仕事に就いたとしても仏飯をいただいていたという事実をしっかり認識してもらいたいと思っています。どんなことでも良いから好きなことをやり抜くこと、自分の信じた道を突き進むこと、これだけが父としての望みです。
※得度式と関連付けて投稿してまいりましたが、明日からは聖天福祭りについてお話しいたします。