仏教では縁起という考え方があります。すべての物事は他との関係あるからこそ成り立っていきます。原因である物事の始まりの種は条件となるべき土や水、日の光によって芽吹き、成長する過程を辿ります。種そのものは独自で勝手に育つものでもないということですね。
良い原因は良い結果にしかならず、悪い原因は悪い結果にしかならないと考えると理解しやすいですね。
要するに悪い結果を産み出したのには原因があったからこそであるということ。そして、良い悪いも自分の心に原因があり、心が考えを作り出すのです。考え方は言葉になり、言葉は行動に結びつきます。
世の中を見ると楽してお金を稼ぎ、遊んで暮らしている人もいれば、心や体が思うようにならず、少しの
収入で日々の生活を切り詰めて暮らしている人もおります。
それぞれに理由がありそうですが、これもすべて偶然ではないと考えるとなんと人間は不平等であるという人もいるでしょう。
しかし、それはあまりにも短絡的な見方です。見た目や表面上だけを見ただけではその裏側にあることを見逃してしまうからです。
偶然ではない人間の行いを作り出すのは紛れもない自分自身の心だと知るとおのずと行動が変化していくのです。