「汚れのない人、罪のない人、清らかな人を害すれば、その愚者にこそ悪は戻る。逆風に投げた微塵の如く」
『ダンマパダ(法句経)』
お釈迦様は、迷いや苦しみから逃れる方法として
「耐え忍ぶこと」を挙げています。
「耐え忍ぶ」とは「我慢する」ことではありません。
「我慢」という言葉は、もともと仏教の言葉です。
自分自身の慢心、おごり高ぶった気持ち、
“尊いオレに何を言っているんだ!”というところから起こった言葉が“我慢”という言葉の本来の意味です。
悪意は投げつけた本人に返っていくものです。誰に何を言われようと、後ろめたいところがなければ聞き流せばいいのです。
しかし、他人から悪口を言われると「あんなことを言われた」「私が間違っているのかな」と悩んでしまうことがあります。
ヒマな人ほど非難したり批判したりするものです。
ですから、ベンモウは非難や批判に対して気分が悪くなっても、文句を言いたくなっても気にしなければ良いと考えています。他人はそれほど自分のことを気にしていない。自分が慢心を持たず、自意識過剰にならなければよいだけです。
他人のことを気にせず、自分自身の役割をしっかりと果たそうと考えていれば、他人の目や言葉は気にならなくなります。