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2025.05.31
単立宗教法人に迫る「おいしい話」
「単立の宗教法人になりたい!」
「もうどこの宗派にも属したくない!」
そんなふうに考える宗教法人の代表者や僧侶は、実は少なくありません。
たしかに、宗派という“被包括法人”の傘下に入る最大のメリットは「守られること」です。組織としての構成がしっかりしており、教義や儀礼の基盤も整っているため、所属するだけで一定の信頼と安心感を得られます。
しかしその一方で、宗派という枠の中では、はみ出した行動をとると“浮いて”しまいます。
安定や結束、そして「和を乱さない」ことが重んじられるため、目立った行動には必ずといっていいほど批判が集まります。まさに――
出る杭は打たれる!
たとえば最近では、SNSでの発信についても、宗派から「節度をもって行うように」と通達がありました。この“節度”というあいまいな言葉が曲者です。人によってその基準はまちまちで、「これはやりすぎ」「これはセーフ」など、さまざまな見方が生まれます。
当然ですが、誰かの口に“壁”は立てられません。うわさや陰口はあっという間に広まってしまいます。結果として、宗派に属することのメリットを感じるというより、「触らぬ神に祟りなし」状態になりがちなのです。
たとえば天明寺が所属する豊山派(ぶざんは)も、決して風通しが悪いとは言いませんが、組織としての規模が大きくなると、どうしても「声が届きにくい」「融通がきかない」といった感覚を抱く場面もあります。
そんな現状から、「いっそ単立宗教法人になって、自由にやりたい!」と思う方がこれからますます増えていくのではないかと感じています。
しかし、ここには大きな落とし穴も――。
単立宗教法人になるということは、宗派に支払う上納金もない代わりに、宗派や本山という“後ろ盾”を自ら手放すということ。言い換えれば、すべての責任を自分で負う覚悟が必要です。
さらに、知らぬ間に思わぬ人物と関わりを持ち、気がつけば犯罪や詐欺に巻き込まれていた…
なんてことも、現実に起こりうる話です。
単立の道は、自由と引き換えに“孤独”と“自己責任”が強く求められる道でもあります。
「おいしい話」に見えるかもしれませんが、甘いだけではすまされません。
宗派に属することの息苦しさと、単立で活動することの危うさ。
どちらも知った上で、あらためて自分の宗教活動のあり方を見つめ直すことが大切ですね。
※YouTube更新しました!
『6月の大予言』
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